ポルトガル旅行記~その2~ポルト【黄金の繁栄の記憶】

~見たらきっと、冒険したくなる!
ポルトガルの旅の写真を動画にしてみました♪

その情景は、 繁栄を極めた頃のポルトの記憶…。

転がりそうな急な坂の街、ポルト

今日は元気いっぱいだ。

それもそのはず、前日は飛行機で寝っぱなし、ホテルにも早く着いてよく眠れたため、疲れがとれたからだろう。

この日のスケジュールは以下。

06:30 起床
07:00 朝食
09:05 ホテル クオリティ・イン・ポルト出発
09:25 サン・ベント駅
09:40 クレリゴス教会と塔
11:00 リヴラリア・レリョ(レロ・エ・イルマオン)
11:30 カテドラル
12:50 エンリケ航海王子広場
13:05 サンフランシスコ教会
13:30 カフェ
14:25 ドン・ルイス一世橋
15:00 アルバシオン・グルメ、アイス
16:00 エクアドル
20:15 ファドとパノラミックドライブ~セラ・ド・ピラル展望台、ヴィクトリア展望台、ディナーとファド
23:00 ホテル着

まず第一に言えることはポルトは、ギリシア並みに坂が多いという事だ。

そして、車道も歩道もゴツゴツの石畳みだ。石畳にはどうも慣れなくて、なんとも歩きづらい。 坂は恐ろしく傾斜がきつい。

ホテルを出て、サ・ベント駅へ向かう道で次の日駅へ行くのにスーツケースを持って駅へ歩いて行くのは不可能だと悟った。

私よりスーツケースが先に凄い勢いで駅へ突っ込んで、大破するに違いない。

歩きながら、

今に転がり落ちるのではないか…?!

と心配になるほどだった。

美しいアズレージョを見にサン・ベント駅へ

ポルトガルと日本の時差はイギリスと同じで8時間(夏時間で)。

最果ての地、ポルトガル。

まずは

美しいと名高いアズレージョを見に行こう

という事でサン・ベントへ。

初期のアズレージョは、ムーア人経由、ペルシャ文化の文様タイルで、緑色に近い。

15世紀初期からだから、実に5世紀に渡り流行り続けた装飾だ。

大航海時代に流行ったものが、その繁栄の遺産として、ずっと受け継がれてきたのだ。

サン・ベント駅は、20世紀初頭に建てられたにも関わらず、中は全面アズレージョで覆われた建物だ。

青いタイルの壁画は、ポルトに纏わる歴史画だ。

ポルトガルが一大帝国を築いた輝かしい黄金時代、アヴィス期の記憶と共に人々の中に根付いたポルトガルの魂とも言える最も壮大な叙事詩なのだ。

その時代がかった建造物を抜けると、駅のホームがある。

折しも朝日が差し込み、その空間は黄金色に輝いていた。

まるで、ポルトガル全盛期を追う旅に誘うように、見事に外界との『境界』としての装置を演出していた。

街を一望できる、 ポルトガル一高い塔

さて。

街へ来たらその全景をこの目に納めるのが常だから、早速ポルトガル一高い塔を持つクレリゴス教会へ。

76メートルの塔の階段は225段で、その一段一段は高く、塔好きでも登るのは大変だと感じた。

その歴史的建造物は、独特のバロック建築で、中も壮麗だ。

塔の上に至るまでに、天井付近の彫刻が間近に見られて素晴らしい。

その様式は今まで見た中でも類を見ない独創性に溢れている。

何というか、どっしりとした建築だ。

荘厳な雰囲気よりも、今そこに飾られている聖人偉人の息遣いが聞こえるような、まるで魂がそこにあるように語りかけてくるのだ。

生命が宿っている…こちらへこれまでのその像が見てきた物語を話しかけてくるような、そんな気配がする。

単なる像や装飾に見えなくなってきた。

そこには不思議な懐かしさと、何故そう感じるかという混沌とした気持ち、それらに引き摺られるように時間の流れを逆流して行く感覚に見舞われながら、どんどんと最上階へ上り詰めていく。

その最上階の外で見たものは、光のベールを被る、朝のポルトの情景。

川向こうの現代建築は霞がかかり、そこに姿を現したのは、繁栄を極めた頃のポルトの記憶。

明るいオレンジ色の屋根、霞がかかった地上とは異なり、天は深く透明な青、日は傾斜30度ほどに上り等しく地上を照らしている。

15世紀頃と変わらずに。

逆光でカメラを構えると、光を受け止めてキラリキラリとオレンジ色に屋根が反射する様子が撮れた。

まるで呼吸し街全体が呼応するように、口々にこれまでの物語を話しはじめたかのように。

実際、朝の街は静寂に包まれているのだが、何とも賑やかな声がしてきそうなこれまでの街を形造ったあらゆる命の輝きを伝えてくれた。

たくさんの人で埋め尽くされたリブラリア・レリョ

その教会のすぐ側には、ハリーポッターの学校のデザインに使われたというリヴラリア・レリョがある。

もっと巨大なものを想像していたが、階段は人がが1人通るのがやっと。

なんとなく東京のコンパクトさを思い出して、親近感が湧く。

その小さな魅力的な雰囲気を放つ書店は、ものすごい人でごった返していた。

後にも先にも、この旅行中、ここほど混んでいたところはない。

元は要塞のカテドラル

リヴラリア・レリョから南南東に600メールのところに、カテドラルはある。

元は12世紀に要塞として建てられたものだから、小高い所に位置していてまたしても急斜面を登って行くことになる。

サイドには騎馬像、教会正面に回り込むと逆光だ。強い光が斜め上から教会に差している。

その向かい側は民家のオレンジ色の屋根の群れ。

そして、洗濯物が干されているといった下町風情が漂っている。

内部はアズレージョでいっぱいだ。回廊のものは18世紀作成らしい。祭壇は宗教絵画のように金泥が施されている。

全体的に、モン・サン・ミシェルを思い出す。12世紀ベースの素朴でズシリと重々しい厳かな雰囲気だ。

外界と遮断されている感じで、途中で出くわしたドイツの団体客以外は殆ど人を見かけない。

アジア人はまだこうした地にはあまり来ないのかも知れない。このポルトガル旅行で、多くのアジア人を見かけたのは、ポルトガルの旅の最終日に行ったロカ岬だけだった。

サンフランシスコ教会へ

今度はそこから南西へ600メール、先ほど見た下町を抜け、エンリケ航海王子広場を経由してサンフランシスコ教会へ。

ドウロ川は目と鼻の先だ。

14世紀のゴシック様式で、金泥装飾で内部は鈍い輝きを放っている。

木彫り彫刻の上にニカワを混ぜた金を塗り込んでいて、どこもかしこも金色なのだ。

金で埋め尽くされたのは、17、18世紀のことらしい。

その頃に植民地ブラジルで金脈が発見されている。ポルトガルは近代までは金持ちだったのだろう。

19世紀末までは、バスコ・ダ・ガマが通った極東までの航路が領有とされていた。東南アジアはフィリピンとインドネシアの一部を除いて、ポルトガル領海だ。

その黄金の時代の名残を今目にしているのだ。

ドウロ川の風景

エンリケ航海王子広場の真ん前のピムスという店で、ダブルエスプレッソとアーモンドトルテで休憩した。

その後はドン・ルイス一世橋へ。ここへ至る坂道がこれまた急でいくら登っても着かないのでは、と思うほどだった。

橋の上のことは、今でもよく覚えている。

そこは、線路があり列車が通るたびかなり揺れる。(前を行く父子は、電車が通る度、大喜びだ!)

橋自体に隙間があり下が覗ける高いところが苦手だと少し大変な建造物なのだ。

塔は大丈夫なのに、足元から下が見えるといけない。。

往復しないと帰れないから、対岸で暫し休んで気合を入れなおして渡ったのを今でもまざまざと思い出せるのだ。

旧市街が見渡せるパノラマは絶景だ。

ここを黄金時代、たくさんの船が行き来していたのだろう。

海が近いせいかカモメが沢山飛んでいた。

そして、丘の上に街が盛り上がるようにあるのが見えて、 なぜあんなに坂が急なのか、よくわかった。

ここまでで唯一混んでいたのは、リヴラリア・レリョだ。ここからは、お土産を買うに専念し、夜のファドに備える。

美しいギターの響きとドウロ川の夜景

夜は、ドウロ川の夜景を楽しみ、ファドを聴きながらのご飯。

トルテが美味しかったのを覚えているが、他の料理の記憶はない。

明るいようで、なんとなく物悲しいさもある、美しいギターの響きと、語るような歌のせいかもしれない。

ポルトガルの伝統音楽のファドは女性と男性の歌手が一人ずつ歌った。

やはり、生演奏はいい。

音の響きが直接体に響いて、心地よい。

ドウロ川の夜景は昼間とはまた違った表情を見せてくれた。

とても明るい。

夜のほうが、昼間より、にぎやかな気がした。

空には、半月を過ぎた月が見えた。

満ちていく月…それと同じくして私の気も満ちていくのだろう。

☆☆☆

面白かった!という方は【応援ボタン】を押してくれると、とっても嬉しいです!!

↓こちら↓


海外旅行ランキング